2011年3月19日土曜日

帰宅

原発もとりあえず水が満たされ、とりあえず燃料が露出しても再度対応できる状態になったので自己で臨界点に達して高放射線の放出という事態は免れたと思いました。とにかくわけのわからない東電や政府の発表でなく消防庁隊長の的確な説明が安心感を持たせてくれました。また、私の実家の伊東が電車や道路が復帰したこと、スーパーが購入数制限で買占めを規制してくれたことを聞き、私だけでなく家族でもどることにしました。夫婦共働きのため妻の実家で子供を修業時間以外あづかってもらってましたが、義父の肺炎がよくならず入院が長引いてしまっているために、交通が復帰した私の実家に子供を預けることにしました。沖縄では東京と原発、仕事が心配で一日中家にこもってパソコンの前にいました。子供を伊東に送り込み、しばらく会えないかと思うと、もう少し遊んであげればよかったと思い、寂しくなりました。義父が退院できれば子供を呼び返し、いつもの生活に戻れますが、いつ退院かめぼしがつかないとなると、子供の春休み明けまでに解決方法を探さないとなりません・・・

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